水に溶けないコットンキャンディ

今日も最高に顔がかわいい

2020年から本気出す

2018年ももう終わりだなぁ…などと考える10月の頭。

2018年は、1年付き合った世界一イケメンで大好きだった彼氏と別れて1週間ご飯食べれなかったのがハイライト。

2018年の下半期はめちゃくちゃ恋愛運きてる蟹座!って占いで読んだのに、嘘だったか?っていうくらい今のところ何もない。意味わかんない茶番はあったけど。

 

もうすぐ2019年な訳ですけど、2019年は準備にあてたいと思ってる。2019年の夏に30になるのでね、30歳で迎えるお正月からが本番かなと思ってる。人生の。

 

最近ははやく結婚したいとかあんまり思わなくなったし、とにかく今はお金をたくさん稼ぎたい。お金持ちになるための元手がほしい。引っ越しでお金がなくなって気持ち的に結構やられてるんだと思う。生きるっていうのは本当にお金がかかる。

 

12万のコートを「かわいいから買うわ」ってなんでもない日に買ってしまえるような人生を送りたい。

 

2020年の冬にめちゃくちゃかわいいコートをグレースコンチネンタルで買うのが目標

バーレスク東京のダンサーになりたい人生だった

29歳の私があと10歳若かったら

というか人生やり直せるなら的な話。

今の自分が嫌いとかじゃないけど、あーこれ若くないとできなかったやつなんだなってのが結構あるから、なんていうか、好きなら早くやっとけよ、若者。という気持ちを込めて。

 

人生やり直せるなら

私はね、人生やり直せるなら幼稚園とか小学校とかの習い事全部やめてダンス習う。地元の田舎にダンス教室があるのか知らないけどスクールに入ってダンス踊れる人になる。

リアルの私は大学で初めてダンス部に入ってそこからダンスやり始めたんだけど、どうしても振りの入り方とかがダンスやってた人と違うんだよね、全てが知らない振り付けだからちょっと遅れる。悔しいんだぁこれが。


で、英才教育でダンスを踊れる私はダンス部がある高校に行くよね。さらに勉強もそこそこ頑張ってた私はダンス部がある大学に行くよね。

 

週末ダンサーの私

大学を出た私は東京で働くんだけど、週末はバーレスク東京のダンサーなの。めちゃくちゃかっこよくない?キラキラの水着みたいなやつ着て踊って、お客さんから水着の隙間に札束いっぱい突っ込まれるの。

 


女の子に「憧れです」って言われたりとかすんの。キモいセクハラのオッサンには「そういうのはやめてください」ってはっきりいうの。ダンサーだからね。

 


29歳の今もバーレスク東京のダンサーに憧れるけど、ダンス経験もほとんどないし、キラキラの水着で人前に出られる体型じゃないから無理。29歳だし。

 


平成が終わるこの時代、29歳なんてめちゃくちゃ若いのに、バーレスク東京のダンサーや、乃木坂46や、女子アナにはもうなれない。悔しい。

 


バーレスク東京のダンサーになりたい人生だったなぁ。

アイドルのスキャンダルはなぜこんなに叩かれるのか

アイドルは幸せになっちゃいけないんだよ。

 

小さなものから大きなものまで。スキャンダルが出るたびに思うんだけど。

アイドルはオタクを差し置いて幸せになっちゃいけないんだよ。アイドルはオタクを幸せにしなきゃいけないんだよ。アイドルはオタクのエゴを一身に受けて金もらってんだよ。オタクは夢を金で買ってんだ。

 

2DK/竹内佐千子 No.151 焼肉 - モーニング・アフタヌーン・イブニング合同Webコミックサイト モアイf:id:nnmii:20161205233229j:image

この漫画めちゃくちゃおもしろいからおすすめ。

 

さて今回の伊野尾くんの件ですけどね、愉快か不快かで言うと不快ですね。ていうかアイドルのスキャンダルなんて基本的に不快なんですよ。女子ドルでもジャニーズでもそうですよ。基本的に、自分が幸せじゃない時に他人が幸せそうだと人は不快になるんですよ。当たり前ですよ。で、毎日完全無欠に満ち足りて幸せな人なんていないから、アイドルのスキャンダルが出ると叩かれるわけですよ。当たり前ですよ。

 

オタクがアイドルに求めているものはハッピーなコンテンツなわけで、それに対して少なからず時間やお金を費やしている。アンハッピーなコンテンツが供給されたら「は?」ってなるでしょ。

 

と、ここまで当たり前のことをたくさん並べて苛立ちをぶちまけましたが、とりあえず感情としては「がっかり」の一言に尽きる。

ワシら、日常生活ではがっかりすることだらけなんだからせめてアイドルはがっかりさせないでくれ、頼む。

 

おしまい。

基本的に男の子は許して愛でてだめにするタイプ

死ぬほどマイペースで、周りへの気遣いレベルも気分によってまちまちで、眠いときは不機嫌だし、お腹空いてるときは不機嫌だし、自分の思い通りにいかないと不満なB型なので、本当は10くらい年上で、キミのそんな猫みたいなとこもかわいいよ、なんて言ってくれる人が合ってる、きっとね。

 

でも好きになるのは同世代の遊び人とか、仕事はできるけどプライベートの思考は下半身で行うタイプとかそんなんばっかりで、そんな人たちと、清いお付き合いとは言えない関係を続けていたら四半期に1回のスパンで膀胱炎になるようになってしまいました。シャワー浴びずにヤッてそのまま寝ちゃダメ。清潔第一。

 

突然の腹痛に襲われて「あ、これタイミングと症状と位置的に絶対膀胱炎」ってわかるようになってしまった自分が悲しいし、血尿を見てもなんとも思わなくなってしまった自分が悲しいし、わたしももう若くないんだな、って気付かされましたよね。

 

この間タクシーで病院に向かいながら、これまで関係を持ってきた殿方を一人ひとり思い出していたんだけど、あぁ、あのときの彼はわたしのことをすごく大切にしてくれて生理のときはお腹さすってくれたなとか、あのときの彼はご飯作って待っててくれたりしたなとか、なんでそんな風に大切にしてくれる人とも別れが来てしまうんだろう、そしてあいつはクズであいつはクソ、あいつにいたってはちんこもげろ、とか色々と考えました2メーターくらいの間に。

 

自分のことを大切にしてくれる人とお付き合いしたい。ちゃんと避妊してほしい。生理のときは優しくしてほしい。

でもそんなことすらできない年下の男の子をかわいいなぁとか思っちゃうからわたしって絶対幸せになれないし3ヶ月後にまた膀胱炎になってると思う。ばかだなって笑ってくれ

借金まみれのまま仕事を辞めたジャニオタのその後

半年前に会社を辞めた。次の仕事は決まっていなかった。
貯金ゼロ。クレジットカードの支払や住民税、奨学金という多額の借金を抱えたまま、初任給が高額であることで有名だった前職を辞めた。

金銭的に余裕があればずっと東京にいたかった。東京が好きだし、地元は嫌いだった。血のつながった家族とはいえ、7年ぶりに誰かと暮らすのは億劫だし、駅から家までの間にコンビニが1件もないような田舎でやっていけるのか不安だった。

7月いっぱいで仕事を辞めて、8月半ばに地元に帰ってきた。前職は激務と難しすぎる仕事についていけなくて辞めたから、次は定時、つまり残業という概念がある会社に入ろうと思っていた。(前職ではみなし労働制という闇の制度が採用されていた)
でも転職活動を1mmもせずに会社を辞めたので、退職した時点で次の仕事は決まっていない。仲の良い友達に「派遣は楽でいいぞ」と言われていたので、私の計画はこうだった。

とにかくまずは仕事を辞める→派遣に登録→オキラク派遣OLとして半年くらい働き、激務に追われていた頃には余裕がなくて考えられなかった、やりたい仕事や将来のビジョンについて考えながら、借金を返す→正社員に転職

完璧な計画だ…!!!

派遣の登録は初めてだったのでちょっとどきどきしていたのですが、数時間で終わるし、その日のうちに仕事を10くらい紹介してもらえた。多分、私の探している仕事の検索条件が少なすぎたから「そんな仕事山のようにあるぜ…どれ紹介すんべ…」と裏で会議が行われたに違いない。

私が登録したのは大手の派遣会社1社のみ。本当はいくつかの派遣会社に登録しようと思っていたのだが、そこに最初に行ってすぐ仕事が決まったので他には登録しなかった。いま思うと囲い込みの力がすごいな。営業力。

このように非常にスムーズに仕事が決まり、(このあと一応派遣先のマネージャーと面談という名の面接があったが、即決していただけた)

当初はお休み中の人が復帰するまでの4〜6ヶ月の間の期間契約だったのだが、組織の体制が変わり枠が増え、ありがたいことに契約を更新してもらえている。
やらせてもらっている仕事もすごく楽しくて、就活時に広告業界を目指していたあの頃のわくわくを思い出す。

私は、前職で過ごした3年半は無駄ではなかったと思っている。というか、辞めて半年経って、新しい職場で自分の価値を周りが認めてくれるようになって、初めてそう思えた。
正直辞める前は会社も上司も呪っていたし、毎朝「死なない程度に怪我してこのまま入院して会社に行かなくていいことになりたい」と思っていた。みんな死ねばいいのに…突然地震が来てPCが倒れてぶっ壊れたらいいのに…地震こなくていいから突然PC爆発しないかな…そんなことばかり考えていた。

前の会社から外に出た今でもやっぱり、あの会社の働かせ方は良くないと思う。ビジネスモデルはいいし、社長にはリーダーシップと推進力があるからあそこまで大きくなったんだろう。でも社員が幸せかって考えると全然そんなことない。社員をモチベートできる仕組みがないのはクソだと思う。

前職では、私は仕事はクソほどできなかったけど、周りにすごく大切にされて愛されて可愛がられていたんだなぁというのを、この間久しぶりに前の会社の人たちと連絡を取ってみて思った。会いたいと思われる人でありたい。価値ある存在でありたい。それは実現できているみたい。

ちなみに借金返済に関しては無計画だったのであんまり減ってないです…お嫁に行く時までには綺麗な体になっていたいです…奨学金制度はクソだ……

来年の春には東京に行きたい。
その前に今の仕事で一旗上げたい。
東京では家賃を払いたくないのでそれまでに東京に彼氏がほしい。
という雑な計画ですが、一緒に住んでくれるかはさておき東京に彼氏できる可能性出てきててやったーって感じ!やったー!

ちなみに田舎のジャニオタ結構世知辛さあるけど、私は今は自分の仕事と自分の人生担って感じで充実しているので、年5回くらいコンサート行けたらたぶん満足。
ジャニショに行かなくなったし、ドル誌も買わなくなったし、自担G以外のCD、DVDをほとんど買わなくなった。自担の出てる番組がリアタイできなくても、最悪見られなくても死なないし、このくらいのスタンスの方が私には合ってる気がする。

年が始まるときに、1番仲のいい友人が「足るを知る」って言葉について教えてくれて、「もう充分。私にはこれで足りている。って思って生きるの」って言っていたのが印象的だった。
ジャニーズは私の人生をすごく豊かにしてくれる。私の知らない世界を見せてくれる。幸せな気持ちをくれる。
でも、それにどのくらいの時間とお金をつぎ込む?お金は有限(私の場合借金があるからマイナス)だし、仕事で成功を収めるために考えなきゃいけないことだって山のようにある。
その中で、限られたリソースを何にどれだけつぎ込むかの判断は正しくしなきゃなぁって思う。

話にとりとめがなくなってきた。
結論です。笑
心と身体を蝕むような仕事は今すぐ辞めなさい。辞めてもどうにかなります。
自分の人生のことを一生懸命考えてくれるのは自分だけです。会社も、上司も、友達も、家族も、結局は他人です。自分のものさしで何が幸せかをちゃんと考えるべきです。
誰にもでも、向いている仕事は必ずあります。自分の人生を自分で諦めないでください。

人生に悩むすべての人に、良き未来が訪れますように!

WEARのフォロワー数が4000人になったからブログを書きます

WEARというサービスがあります。
ファッションコーディネート専用のSNSって言うとわかりやすいかしら。

私は2年前にWEARを始めました。2年間でUPしたコーディネートは234。だいたい3日に1回はコーディネートをUPしてきた計算になります。日記もブログも続かない私にしてはすごい数字です。

このブログを購読してくださってる方はお気付きかもしれないですが、私は基本的に何事も続かない性格で、ミーハーなのでいろんなものに手を出しはするのですが、その熱量が長くは続かない。
今まで続いたことはSNS(twitterInstagram、WEAR)だけなので、リアルタイムなレスポンスがあれば割と恒常的に長続きするのかな。これはもしかしたらみんなそうかもですね。
ずっと好きなこと、例えばダンスとかアイドルとかは、熱量を恒常的に保てないけど何度も好きになる。これはレスポンシブルじゃないからムラが出るけど、それでも好きってことは本当に好きなんだろうなと思います。

WEARが単体でビジネスとしてちゃんとお金を稼げる仕組みになっているかっていうとそうではなくて、ZOZOの会社(株式会社スタートトゥデイ)がゾゾタウンで成功したから成り立っているっていうところはあるんだろうけど、でもサービスが存続してるってことはちゃんと結果を出して洋服の売り上げに貢献しているんだろうなぁ、と勝手に思っています。
WEARというサービスに賛同してくれるメーカー・ブランドがたくさんついてるっていうのもあるかな。

そんなWEARでフォロワー4,000人がすごいかどうかっていうと、たぶんピラミッドでいうと中の上くらいかな…もう少し上かな?4〜5,000人レベルはまぁまぁ、いる印象。

持論ですが、WEARでフォロワー数が多いからおしゃれかっていうと別にそうじゃなくて、ださいだろ!みたいな人のフォロワーが10,000人くらいいたりします。彼らはWEAR上でのコミュニケーションが上手いから、友達がたくさんいるっていう理解をしています。

4,000人になったからすげえだろ!っていうことが書きたかったわけではなく、これからもがんばりますっていうわけでもなく、自分が使ってる自分の好きなサービスについて書いてみたくなっただけなので山もオチもないエントリーでした。笑

明日も好きな服着て今日の私が好きだって思える1日になりますよーーうに。

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好きだった人の、ずっと隣にいた人

中島健人くんが好きだった。


新卒で入社してから3年半働いた私の職場は、虎ノ門の駅から歩いて、ポニーキャニオンのビルを通り過ぎて少し行ったところにあった。
新曲が出るたびに健人くんは私の通勤経路にいた。

仕事は本当につらかった。毎日夜遅くまで働いた。仕事ができないことがつらかった。「この仕事は私には難しくて、私にはできない仕事だ」と認めるまでに3年半かかった。

大きな横断歩道を渡った先に健人くんはいつもいた。時に仔犬のように微笑み、時にクールな視線で行き交う人を見下ろしていた。
大きな横断歩道は私にとって氾濫した大河だった。毎朝息を止めて、自分を殺して、心をなくして大きな河を渡った。健人くんだけを見て、涙をこらえて、毎朝どうにか会社のセキュリティゲートにカードをかざした。


夏に会社を辞めて、河を渡ることも、健人くんを見て手のひらにぎゅっと力を入れることもなくなった。仕事がなければ近付くことのない駅だ。健人くんのいる東京で暮らすことはあきらめて、田舎に帰ってきて暮らしている。


健人くんの隣には変わらず風磨くんがいる。


すこし痩せて、頬がすっきりしたね。さらさらのショートヘアから覗く肌は相変わらず白くて柔らかそう。笑ったときになくなる目がかわいい。健人くんを呼ぶときに少し語尾を伸ばす癖がいとおしい。


ずっと視線の端で見ていた人。健人くんを追いかけたら必ずそこにいた人。健人くんの大切な人。健人くんを大切に思う人。

はじめから好きになるとわかっていたような、でもまだ認めたくないような、健人くんのずっと隣にいた人への気持ち。

いま、3月のコンサートで、何色のワンピースを着たらいいのか悩んでいる自分がいる。